鎌倉時代に二階堂行正が砦(とりで)を築いてから斉藤道三を初め、織田信長や池田輝元など数々の武将に使われた岐阜城の現在までをみてみよう。
岐阜城の城主とできごと
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時代 |
西 暦 |
年 号
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城主 |
できごと |
鎌倉 |
1201 |
建仁 1 |
二階堂行正 (にかいどうゆきまさ) |
金華山に軍事目的で砦(とりで)を築く |
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佐藤 朝光 (さとう ともみつ) |
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伊賀 光宗 (いが みつむね) |
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稲葉 光資 (いなば みつすけ) |
伊賀光宗の弟で「稲葉」改姓。 「稲葉山城」とする。
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稲葉 光房 (いなば みつふさ) |
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1259 |
正元 1 |
二階堂行藤 (にかいどうゆきふじ) |
二階堂行正のひ孫。 後に廃城。
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室町 |
1412 |
応永 19 |
斉藤 利永 (さいとう としなが)
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守護土岐氏の守護代。城を修築する。 |
1445 |
文安 2 |
加納城を築城し、移る。 |
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斉藤 妙椿 (さいとう みょうちん) |
応仁の乱で京都に出陣。 歌人としても有名出る。 |
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長井 長弘 (ながい ながひろ) |
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長井新三衛門尉 (ながいしんさえもんのじょう) |
一説では、斉藤道三の父といわれる。 |
1539 |
天文 8 |
斉藤 道三 (さいとう どうさん) |
稲葉山城を大改築し、井之口城下町を作る。 |
1556 |
弘治 2
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斉藤 義龍 (さいとう よしたつ) |
父・道三との戦いによって道三敗死。 |
5月に突然の病死(34歳)。 |
1561 |
永禄 4 |
斉藤 龍興 (さいとう たつおき) |
義龍の子、若年で家督を継ぐ。 |
1564 |
永禄 7 |
竹中重治、半兵衛らにより一時占拠される。 |
1567 |
永禄 10 |
織田 信長 (おだ のぶなが) |
稲葉山城を攻め開城させる。 信長により稲葉山城を岐阜城と改められる。 |
安土・桃山時代 |
1576 |
天正 4 |
織田 信忠 (おだ のぶただ) |
安土城に移った信長の跡を息子信忠が継ぐ。 |
1582 |
天正 10 |
本能寺の変で、二条城にいろところを攻められ、自刃。 |
織田 信孝 (おだ のぶたか) |
織田信忠が自刃したため、伊勢神戸城から移る。 |
1583 |
天正 11 |
羽柴秀吉により攻められ、開城。 |
池田 元助 (いけだ もとすけ) |
池田恒興の長男。岐阜城か加納に楽市・楽座を出す。 |
1584 |
天正 12 |
長久手の戦いで戦死する。 |
1585 |
天正 13 |
池田 輝政 (いけだ てるまさ) |
池田恒興の次男。大垣城から移る。天守閣ややぐらを造り、城の守りを固めた。 |
1590 |
天正 18 |
三河吉田城に移る。後に、姫路城主となる。 |
1591 |
天正 19 |
豊臣 秀勝 (とよとみ ひでかつ) |
秀吉の養子。 |
1592 |
文禄 1 |
朝鮮に出陣中に病死する。 |
織田 秀信 (おだ ひでのぶ) |
織田信忠の息子。安土城から移る。 最後の岐阜城主。 |
1600 |
慶長 5 |
関ヶ原の戦いで西軍につき、東軍(徳川)に攻められ落城。 |
1601 |
慶長 6 |
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徳川家康に命令により廃城。 天守ややぐら等の資材を加納城に移す。 |
明治 |
1910 |
明治 43 |
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模擬城建設。 |
昭和 |
1943 |
昭和 18 |
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模擬城消失。 |
1956 |
昭和 31 |
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現在の天守閣再建。 |
平成 |
1997 |
平成 9 |
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再建以来の大改修を行う。 |
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